yamadaの投稿 (9月 30, 2009)
昨晩は、同居人(妹)が旅行だったため、一人ボッチで気持ちが上付いていたのでしょう、4時に就寝。
アルコールも350mlを2本飲み、今朝起きたときはTトテモKキモチガWワルイ。GグアイガWワルイ。状態。
さっき、お昼の外出時に、日曜に病院でもらった食前薬を飲んでいなかったことに気づいたので、オフィスに戻った後に飲んだらDダイブYヨクナッタ。吐き気を抑える薬。
yamadaの投稿 (8月 14, 2009)
お盆一日目のお楽しみイベント。
21時にも関わらず、バルト9の客席は満席状態。しかも、各自の作品への期待がハンバないのが、上映前の待ち時間の熱気で感じられる(ただ暑かっただけなのかなぁ)。
結果、今生きてる人の70%以上をガッチリ掴むことのできる、すんばらしぃエンターテイメント作品でした。
オープニングのカイカイキキチックな仮想世界で描写される近未来の世界観と、相変わらず思うがままにならない夏休みのSEI-SHUN風景が違和感全然なく共存していて、観客全員をスムーズに戦い(自分との戦いさね)の世界へと連れて行ってくれる。
中で描かれる家族一族集合については、同じような一族感を、小学校の時の夏休みに感じたなぁーと、観てて懐かしくなったよ。
仮想世界OZのシステムや、ボット(もしくはエージェント スミスか?)との戦い方については「どうなんだろ?」と思ったけど、他の部分の作り込みがしっかり出来ていたし、そのシーン自体が手に汗握る楽しさだったので、いつの間にか強制的にねじ伏せられてました。
あまりに熱中しすぎて、終了後は頭がクラクラしてました。アニメーション映画では、本当に久しぶりのよく出来た作品だったなぁー。
yamadaの投稿 (5月 21, 2009)
ギンレイホールにて、同時上映は「おくりびと」。だけど、時間がなかったのでスルー。まだ都内で上映してるしさ。
大好きな「ごめん」の久野君が出演していたからか、ポスター•予告編のイメージも「ごめん」と似ていたので食指は動いていたのだけれど、公開時は機会を逃してしまってました。
前日夜、ゴールデン街の映画バーに行ったのだけれど、偶然、そこのマスターがこの作品をべた褒めしてて、ポスターもはってありました。
さて、内容は宣伝イメージとほぼ同じ!という、宣伝に騙されられつづげでいる私にしては、大変珍しいケース。
久野君の役も、一見普通、でも変な悩みを抱えてる高校生で「ごめん」とほぼ同じ印象。最後に勇気を振り絞る所まで同じなので、制作側は意識したのだろうなぁ。
彼だけでなく、家族全体が出来事を通して成長してゆく心温まるお話し。
ただ、あまりにも予想とおなじで、逆にあまり感動しませんでした。
yamadaの投稿 (3月 10, 2009)
アップリンクにて。
ダルデンヌ兄弟に影響を受けているとの事前情報が頭にありましたが、物語のここそこらに転がるダルデンヌ兄弟風手振れ撮影は、しっかり効果的で違和感はありません。
独学というのだけれど、色んな方法でシュミレーション(勉強)したのだろうなぁと思います。
これが第一作目ということは、下手したら一般公開もされず、地元での自主上映、自画自賛俺たち良かったよね映画になっていたのにも関わらず、このクオリティの高さは自分に対するハードルの高さがハンパなく高い。
簡単に映画が撮れるこの状況を利用して糞作品を量産する志低い自主映画監督は見習うべきでしょう。
本当に地方の、それも狭い範囲を舞台にしてるにも関わらず、閉じた印象を受けなかったのは不思議。
また、もろドメスティックな空間にも関わらず、まるでヨーロッパ映画を見てるかのような感触を受けてしまったのだけど、何でなんだろう?
主人公が母親から無理矢理働かされるワイン工場のシーンが「これ何処かで見たような・・・」と思ったのだが、栃木のココファームでした。
栃木のローカル番組でU字工事が紹介していたのだった。ブドウ畑の上から工場を見下ろすシーンが、番組で紹介されていたのとほぼ同じでいきなり記憶エンジンが動き出したよ。
母親の死去という大きな出来事も、さりげなく処理されてて、ここにもダルデンヌ節が・・・。
凄く良いと思いましたけど。
走って、追いかけて、つかまれて嗚咽と共に崩れるてしまう主人公、というラストはもろ「ロゼッタ」。
でも、先の見えないこの状況。どうしてこうなったのか、どう後悔すればいいのかも整理がついてないぐちゃぐちゃな心象を的確に現してた良いシーンだと思います。これも全くロゼッタと同じなんだけど・・・。
物語面、撮影、編集面においてダルデンヌ兄弟をサンプリングして作ったような作品。
タランティーノみたい。
でもクオリティ高いっすYO!
もっともっと自分の色を出すであろう次回作に期待大。
yamadaの投稿 (3月 1, 2009)
新宿ピカデリーにて。
先週、コーヒー豆屋に行ったのだけど、焙煎中の映画好きの店主に「これでも見てて」と差し出されたのが「チェンジリング」のパンフレット。
そういえばクリント・イーストウッド作品だったなぁ見てみようかしら、と頭に止まっていた。
そんなわけで、土曜の早あがり後、色んな映画の選択肢の中から時間的にもピッタリだったので観てみることにした。ほんとは古い時代設定の作品は
苦手なんだけどね。
予告中、次回作の「グラン・トリノ」が流れたのだけれども、こちらは期待大。
失った息子を最後まで探そうとするアンジェリーナ・ジョリー。息子をでっち上げる警察。ジョリーをバックアップするジョン・マルコビッチ。ストーリーはまあまあ。
というよりも、街中を歩くジョリーの姿や、ロサンゼルス郊外の荒涼とした砂漠シーンはぐっとくる映像だった。
なかなか「母親=ジョリー」に感情移入出来ないでいたが、警察から無理くり精神病院に入れられるシーンから、やっとこ「負けるなジョリー」との気持ちになりました。あと、権力が全てを管理してるのは、不条理極まりないデストピアSFっぽくて怖さ半分、面白え~と観てました。
とりあえず「グラン・トリノ」に大期待!
yamadaの投稿 (2月 21, 2009)
新宿ピカデリーにて。
水内役の俳優の面付きと声にノックトアウト。
病院内で白衣のポケットに携帯電話を常時入れている国仲凉子にノックトアウト。
爆笑問題・田中の演技にノックトアウト。あと彼と娘が病院前で妻・国仲への面会を求め、直後に国仲がこと切れるシークエンスはテンポが素晴らしくノックトアウト。
これは本気で。監督の悪意が感じられて高印象。
綾瀬はるかに顔の中心部が似ている妻夫木にノックトアウト。途中、それに気付いてしまってからは、気になって仕方がなかった。
日本映画界の至宝であり元タカラジェンヌでもあられる「壇れい」にノックトアウト‼
外国島にて妻夫木にゾンビもどきが襲って来るシーンは、迫力満点でしたが、直ぐに終わってしまい、妻夫木Vsゾンビ集団まではなりませんでした。
これはいくらなんでもやり過ぎだろうと思うくらい荒らされ、無人状態の渋谷は素敵な光景だったので、やはり妻夫木がゾンビ達の頭に銃をばしばし打ち込む作品を見たかったな。
もしくは、ゾンビになった壇れいと仲良く暮らすハッピーエンドとか。
yamadaの投稿 (2月 18, 2009)
中野駅前の定食屋「玄」にてNと夕食。ホームページの打ち合わせを兼ねて。
オーガニックな素材を使ったシンプルな定食屋。
定食屋なのだけれど、店内はモダンで、若い女性が1人で仕事帰りに立ち寄っても違和感がありません。
忙しい独身男性にもうれしいのが、夜深い時間までの営業時間。
立ち寄ったのは夜11時ごろだったのだけれど、それでも若い男性サラリーマンがとぎれることなく入店していました。
ちょうどよい濃さの味付けで、体にいい感じはバッチリ!
よく噛み締めていただきました。
yamadaの投稿 (2月 16, 2009)
ギンレイホールにて。
当初は朝の回を観る予定だったが、仕事やらゴタゴタやらが重なり、結局最終回8時20分からの鑑賞となった。
そんなにしてまでも私のなかではプライオリティーが高くない黒沢清作品を観に行ったのは、ひとえに周りの評価が高すぎた事、に尽きる。
とある普通の家族が、体験する軋みの中で、初めてかけがえのなさに気付く。そして、のたうち回る家族をひんやりスレスレの暖かさで見守る家(家具やら温もりのある照明光やら、ぼろぼろの14インチTVやら…)。
多分この映画の主人公は家(ホーム)なのだろう。まるで生きもののように映し出される家からは、新しく作り出すことの出来ない歴史や家族サイクルの限界が垣間みれる。
でも、家が醸し出す「家族から逃れられない」限界・諦めは、人間達が呟く「やり直したい」というある意味ネガティブな言葉を、「かけがえのなさ」という少しはポジティブな言葉(だけれどこれも黄昏時の言葉だということには変わらないけど)に変換してくれる。
ラストの月の光の演奏シーンは、そんな効果があいまって、緊張感と共に安堵感が詰まった至福の時間でした。音も良かったしな。
画が素晴らしく美しい。特に家が。どちらかというと建物探訪向き。津田寛司が出ていた。アンジャッシュの人が先生役で出ていた。朝日は誰にでも降りそそぐが、その美しさに皆が気付いているとは限らない。大抵は最低な時に気付いてハッとする。悟った気分になってしまう。そして馬鹿な事をしてしまう。後から後悔しない事もある。
人間の限界から生まれる幸せは嘘か? 嘘?だけど嘘だとしても、幸せは幸せなのか?
かけがえのなさを否定するだけではいけないのではないか?
などごちゃっと考えながら観ました。反省を含めて。
帰り道は、ドビュッシーの作品集を聞いて帰りました。残念な事に、くらーい暗黒音楽で凹む。ゲー。
yamadaの投稿 (2月 15, 2009)
早く仕事が終わったので、武蔵野館にてキム・ギドクの「非夢」を観賞。
先週の日曜夜に溝と会った時に、キム・ギドクの新作が公開されたことを聞いたのがきっかけ。
オダギリ・ジョーが出てるのだけれど、日本人という設定ではなくて韓国人として出演している。ユニークなのは、彼が日本語を話している事。物語の中では韓国語と日本語による会話が自然に続いて行く。
初めはその設定に付いていけなくて笑う反応をしてしまっけど、次第に違和感なく観てしまうのはギドクマジックか?それとも私がただ流されやすいだけなのか?何れにしても映画的!
先週頭をぶっ飛ばされた「愛のむきだし」と比較しながら観てしまったのは、愛のむきだしが素晴らし過ぎただけではなく、なんとなくこれら2作品の世界観が似通っていたからだ。
あまりにもリアリティからかけ離れた世界感を、あっけらかんと見せられてしまうので、まるで現代のおとぎ話のを観ているかの感触を受けるのだ。
ただし、「愛わのむきだし」がそんな世界感にも関わらず、聖と俗、もしくは俗の中の聖、またはその反対を欲張りに描ききっていたのと対称的に、今作「非夢」は、寓話の域を出ていないように感じる。
あまりにも美しすぎるんだ。
ジョーの演技も良かったし、ヒロインもかわゆかったし、私好みの作品なので、本来なら大絶賛ものだが、似た感触を受けただけに、どうしても「愛のむきだし」と比較してしまう。部が悪い。
yamadaの投稿 (2月 7, 2009)
@ユーロスペース
いわゆる萌え映画。
とにかく子供がかわゆす、という以外は特に記すべき点がない。
というのは嘘で、子供から大人に成長するグルグルとした「物語」を、極力子供の視点で描かれていて、その徹底さが素晴らしい。
最低の現実が、子供ならではの妄想世界で合理化されてゆくのは、パンズラビリンスみたい。
最近になって風景から物語の「味」を感じられるようになってきました。
レコードのノイズを楽しむようなもの。お茶の渋みを楽しむようなものだと思う。